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玉川大学・玉川学園同窓会
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同窓生からのお便り

映画「明日への遺言」を観てきました 2

映画「明日への遺言」を見て 杉澤 達弥(教育82) 二十数年ほど前に、岡田資中将が巣鴨収監中に書き残された遺稿「毒箭」(副題:巣鴨より若き世代に遺す)をお借りして読みました。「明日への遺言」の公開前には、監督の小泉尭史氏のお話を聞く機会にも恵まれ試写会を含め何度も拝見しました。公開初日には、池袋サンシャイン横の「巣鴨プリズン跡碑」、岡田資中将とご縁のある、堀の内「妙法寺」、北小岩の「正真寺」にお参りさせて頂きました。映画制作のお話を伺った一昨年の暮れ以来、折に触れ「毒箭」を再読し、大岡昇平著「ながい旅」を何度も読みかえしながら公開を楽しみにしておりました。公開前に学園同窓会HPにもこの映画をご案内はしたものの、果たしてみなさま見ていただけるのか少し不安でしたが、多くの方々が映画館に足を運んでくださって安心しております。 岡田中将が江古田にお住まいの頃、お隣に住んでいた方から「中将がお宅の庭でバラやダリアを栽培しておられ、温子さんから見事なバラの花を頂いた」と伺いました。映画ではバラやダリアは出てきませんが、独房の窓際にピンクと白の「コスモス」があるのが印象的でした。


古武士のごと散りける人よ白き薔薇      二宮(加藤)真弓(英米55)エッセイスト
 映画「明日(あした)への遺言(ゆいごん)」(監督小泉尭史)が公開された平成20年3月1日、私はこれを見るためにはやる心を抑えて駆けつけた。
 1945年、東条英機もと首相らA級戦犯が東京裁判でさばかれたが、横浜地方裁判所では、戦争犯罪行為の命令者であるB級戦犯と実行者のC級裁判が行われ、東海軍司令官であった岡田資(たすく)中将以下、19名が審判を受けた。
 岡田中将には大正8年生まれの長女達子さん、大正12年生まれの長男陽(あきら)さんがおられた。私は玉川卒業生でもある岡田陽先生に、一方ならずかわいがって頂いた。大学2年の時、ソーントン・ワイルダーの「長いクリスマスディナー」の舞台にも乗せていただいた。
 そして美濃の片田舎から、映画「窓から飛び出せ」を見て家出して入学した私を助けて下さった小原國芳先生は、私の敬愛する大恩人である。この小原先生の全人教育の理念の中で、学校劇は欠くことのできない要素で、岡田陽先生はその具現者として最もふさわしい方であった。終戦間もない当時の小原先生のご文章に「新生日本の教育には、学校劇をやらねばならぬ」とある。ひとり玉川学園のことだけでなく、広く日本教育全体の前途を見すえて、苦慮していらした小原先生の負託(ふたく)にこたえて、全国的ひろがりをもつ学校劇運動の推進者として、岡田先生はすばらしい働きをなさった。それまでにもそうした脚本を書く人はあったが、玉川学園小学部、中学部の教師として、ありのままの子どもたちの悩み、喜びを現場でとらえ、それを脚本にのせて、お書きになった。子どもたちが、先生の脚本の中でいきいきと躍動し始めた。「玉川学校劇集」(全8巻)も出版され、全国の小・中学校教師のかけがえのない手引書となった。玉川の丘では、学校劇研究会も合唱研究会も体育研究会も活発に催され、地方の教師たちが研修に集まった。総合芸術の表現としての学校劇によって、全国の子どもたちの健やかな成長を助けた。小原國芳先生のいわれるピアノも弾けて、歌もうたえ、肥やしも担げ、一つのことに集中して学習を続ける能力を養う、これが均整のとれた人格をかたちづくる本当の全人教育なのであった。
のちに玉川大学文学部で教授となられた岡田陽先生(現名誉教授)は、石井漠氏と黛節子氏の流れをくむ舞踊家の奥さま、純子さんと結婚なさっていた。純子さんは小原先生の次女であった。この方の独自の創作舞踊も、玉川の舞台で子どもたちのみずみずしい表現の一つとなった。
映画は大岡昇平氏の著書『ながい旅』(新潮社・角川文庫)がもとにある。作家大岡昇平氏もまた旧制成城高等学校時代の小原國芳先生のまな弟子であった。岡田中将の高潔な志に打たれて、この本を執筆なさった事を、私は大岡昇平氏のお宅へ伺って知っている。
第二次大戦の軍事法廷で、敗戦国日本の軍人として部下の犯した罪を一身に受けながら、アメリカの無差別爆撃の責任を問い続けた中将の凛然たる態度に、暗い映画館の中で涙がとまらなかった。このことは大岡昇平氏の小説『ながい旅』にくわしい。敗戦国の将校としてもこのことだけは譲れないという気迫に満ちた岡田中将の態度にはアメリカ人の弁護人も、ついには敵対視していた検察側にも、心をうたれた様子が映画に表現された。
主演の藤田まこと氏はすばらしい抑制された表現で中将を演じた。女優の蒼井優もしっかりとした口調で当時の国鉄太多線(たいたせん)(岐阜県多治見―美濃太田間)に一般人乗客がB29爆撃機の機銃掃射を受け、乗っていた10名死亡、20数名が重傷を負ったことを証言したシーンが私には印象深い。
実はこの頃は国鉄要員も男性は全て兵士としてかり出され、駅の改札や車掌の業務は当時の女学校上級生や卒業生が動員命令を受けて担当していた。県立多治見高等女学校の1年生だった私は、卒業生や上級生がそうした仕事についていたのを知っている。わけても、多治見駅に停車中のこの列車にあびせた機銃掃射の悲惨な事実は、いまだに記憶が鮮明である。このとき、やはり学徒動員で多治見の軍需工場へかり出された名古屋女子商業学校の生徒たちも、一般道路通行中を掃射され、10数名が重傷を負った。
18名の部下たちを救うため、「すべて司令官である私が命じたこと」と証言をくりかえし、従容(しょうよう)として十三階段をのぼってゆく中将の後ろ姿に、古武士のいさぎよさがあった。最期(さいご)のことば「本望である」は、何物にもかえがたい重みを私たちの心に与えてくれた。

注:来る5月刊行の俳句エッセイ第6弾『オペラ座の弁慶』(中日出版社)(二宮真弓著)にもっとくわしい文章が掲載されます。ご期待ください。

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